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第5話 防弾車とオレンジの箱

Penulis: 6jay
last update Tanggal publikasi: 2026-09-15 20:57:16

花瓶の一件から3日目。

元麻布のペントハウスの日常は、それまでとはまるで違う、かなり奇妙な方向へ進み始めていた。

午後2時。夕食の食材を買いに行こうと、紗良がリネンのエコバッグを手に玄関へ向かったときのことだ。

カチャリ。

玄関のセンサーが反応するより早く、重厚な両開きの扉が開いた。

黒いオーダースーツを隙なく着込んだ高城グループ専属の警護員が2人、姿を現す。そろって、きっちり90度に腰を折った。

「神谷様。ペントハウス専用の送迎車が、地下駐車場でお待ちしております」

紗良は片眉を上げた。

「スーパーへ、買い物に行くだけですが」

「高城副会長からの直接のご指示です。外出の際は、防弾仕様のセダンと専属運転手をお付けするよう、申しつかっております」

そのうえ、もう1人の手には、手のひらほどの黒い緊急通報端末まであった。

位置共有と緊急連絡だけの簡素な機器とはいえ、歩いて買い物へ行く人間に持たせるには、十分に大げさだ。

「危険を感じたら、中央のボタンを押してください。グループの総合指令室と契約警備会社に位置情報が送られ、必要であれば110番通報にも連携します」

手の上に置かれた端末を見下ろし、紗良は胸の内で盛大にため息をついた。

その気になれば、ヴァルハラのグローバル警備チームも、専用の衛星通信網も、すぐに動かせる。

それなのに、徒歩5分のオーガニックスーパーへ行くために、防弾車と非常ベルとは。

「不要です。歩いて5分の場所に車と運転手を使うなんて、移動の無駄が多すぎます。その端末も、お持ち帰りください」

「ですが、警護に空白が生じれば、私どもの責任を問うと副会長が……」

「では、私から説明します。私の雇用契約に、買い物で過剰な送迎を受け入れる義務はありません」

きっぱり断り、紗良は一般用のエレベーターに乗った。

専用エレベーターより42秒遅い。だが、玄関で押し問答を続けるよりは効率的だった。

そんな計算をしながらも、冬真が自分の外出時間をわざわざ確認して指示を出したことが、もう一度、頭をよぎった。

* * *

その頃、高城グループ本社48階、総括副会長室。

報告を受けた冬真は、握っていた重厚なモンブランの万年筆を、机に置いた。

硬い音が響く。

「防弾車も非常ベルも、全部断った?」

「はい。『移動の無駄が多すぎる』と。エコバッグを肩にかけ、そのまま歩いてお出かけになりました」

戸惑う秘書室長の報告に、冬真はこめかみを押さえ、深く息を吐いた。

(どれだけ人の顔色をうかがって生きてきたんだ……)

彼の頭の中では、またしても、紗良の貧しい過去が勝手にできあがっていた。

好意を受け取った瞬間に、借りができる。そう教えられてきたから、身に余る待遇を避けるのだ。

そう考えると、防弾車を押しつけた自分のやり方は、あまりに乱暴だった。

(焦りすぎた。まずは、気づかれないように生活から変えてやろう)

冬真はすぐに、声を落として秘書室長へ命じた。

「エルメスの銀座旗艦店に連絡してください。いちばん手に入りにくいというバーキン25。色は目立たないエトゥープで。今日中にペントハウスへ」

「はい? 副会長、あのバッグは最上級のお客様でも、数千万円単位の購入実績を積み、少なくとも2年はお待ちになる品で……」

「いくらかかっても構いません。プレミアムを3倍積んででも、今夜までに紗良さんの部屋の引き出しへ。気づかれないように置いてください」

秘書室長が、控えめに尋ねた。

「贈り物だというメモは、お付けしますか?」

冬真は少し黙った。

直接渡せば、紗良は間違いなく返してくる。

「メモは要りません。包装も大げさにしないように」

「エルメスの箱そのものが、十分大げさかと……」

冷たい目が上がり、秘書室長は即座に頭を下げた。

「バッグの中には、買い物袋代わりにも使えるインナーバッグを入れてください。実用品だと思えば、受け取るかもしれません」

* * *

午後7時。

オーガニック食材で夕食を整えた紗良は、住み込みスタッフ用の寝室へ戻った。

その日の家事を終え、楽な服に着替えようと引き出しを開ける。

そこで、ぴたりと手が止まった。

鮮やかなオレンジ色の上質な箱。その中に、極上のカーフレザーの香りを漂わせるバッグが、行儀よく収まっていた。

エルメス、バーキン25。エトゥープのゴールド金具。

定価300万円、転売時の上乗せだけで600万円を超える品だ。

紗良の本宅のドレッシングルームにも、革や色の違うものがいくつもある。

無表情のまま、精巧なサドルステッチと金具の刻印を確認する。

隣にはカードも領収書も、宛名もなかった。

紗良は、持ち主や用途を勝手に決めつけて物を扱うのが嫌いだった。

(……どうして、これを私の部屋に?)

きちんとリボンを結ばれた高級バッグが、事情のわからない彼女の前に、ぽつんと残されていた。

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